公民権運動家マルコムXは、1965年2月21日、ニューヨークのAudubon Ballroom(オーデュボン・ボールルーム)の演説中、会場にいた最前列の黒人3人が至近距離から13発狙撃、マルコムは浴びるようなかたちで殺害された。マルコムXが以前所属していたNATION OF ISLAM(ネイション・オブ・イスラム)の犯行との見方が大方の意見を占め、この事件は、所謂、教団内の内輪もめとして世間に知られることとなった。
しかし、妻BETTY SHABAZZ(ベティ・シャバツ)と娘たちやマルコムに近い人達は、ネイション・オブ・イスラムの犯行ではなく間違いなく政府の仕業に間違いない、と暮れや密かに思っていた。現場にいた日系の公民権運動家YURI KOCHIYAMA(ユリ・コウチヤマ)は、アジア人でただ1人マルコムを介抱した人で「マルコムは血を流しながらステージの床に仰向けに倒れていた。私は彼の頭を膝に乗せ、「彼を死なせないで。お願いだから死なせないで」と祈りながら彼の名を呼び続けた。けれども、マルコムは苦しげな息を続けるばかり・・・・・・」と『ユリ 日系二世 NYハーレムに生きる』(中澤まゆみ/文藝春秋)と語っている。その後、出勤したユリはニューヨークの地下鉄のアナウンスでマルコム死去のニュースを聞いた。(同著者/同出版社)
2021年2月26日、マルコムX暗殺についてで新証拠が発表された。警察官Raymond A. Wood(以下、レイモンド)が死の間際で残した手紙にはマルコムX暗殺に加担した者たちの詳細が記載されていた。マルコムX死後、56年が経過していた。レイモンドは、FBIとNY市警の説得によりマルコムXの集会が行われるAudubon Ballroomの警護員になりすまし、暗殺の際、別の黒人に罪を被せるよう実行させたと言う。マルコムの3女Ilyasah Shabazz(イリヤサ・シャバズ)は「痛ましい悲劇の裏に隠された手掛かりとなる真実があるなら徹底的に調査をしてほしい」と父親についてインタビューに答えたが、数日後、レイモンドの娘により、この話は嘘であると発表され、結果として、この陰謀論的ストーリーは闇に葬られる形となった。
マルコムXとは?
マルコムX、本名マルコム・リトルは、1925年5月19日、ネブラスカ州オマハ生まれ。小さい頃、父親は白人秘密結社KKK(クー・クラックス・クラン)に殺され、母親は精神病院に送られた。里子に出されたマルコムは、大人になるにつれ、窃盗、ギャンブル、ハスラー(麻薬の売人)など放蕩生活に明け暮れるが、やがて窃盗罪や恐喝罪により逮捕されチャールズタウン刑務所に送られた。知に目覚めたマルコムは読書に没頭していたところ、ネイション・オブ・イスラムに人生の真実を発見し、イライジャ・ムハマドと文通することになった。マルコムは出所し、そのままネイション・オブ・イスラムのメンバーとなる。やがて組織のスピーカーととなったマルコムは、全米各地で黒人の意識を覚醒させる演説や白人との武力闘争も辞さない考えを前面に出す演説を行い、有色人種のカリスマとなったいく。だが、イライジャ・ムハマドの不貞を知るにつき、組織から離れ脱退する。その後、本来のイスラム教を再確認するためメッカ巡礼を行い、また中東、アフリカを訪問した。やがてマルコムは、自身のイスラム組織Muslim Mosque, Inc.(通称、MMI、イスラム寺院組織)の他、Organization of Afro-American Unity(アフロ・アメリカン統一機構)を結成し、人種にとらわれない人権組織を結成。マルコムは、白人との融和を目指す方向に向かっていくが、その一方で、メンバーの相次ぐでっち上げの逮捕や家を放火されるなど家族に危害が及ぶほど嫌がらせが増えていった。そして1965年2月21日、オーデュボン・ボールルームで殺害された。葬儀には2万人以上の人が参加したという。多忙を極めたマルコムは、同3月インドネシアのバンドンでアルジェリアの大統領ベン・ベラとチェ・ゲバラと共に会談予定だった。さらに黒人の人権侵害を訴える演説を国連で全世界に向けて行う予定だった。