2月20日(土曜日)午後3時頃(JST午前5時)、ブルックリン出身のジャズシンガーPAULINE JEAN(ポーリン・ジョン)は、Kupferberg Center for the Artsの主催で動画配信ライブを行った。このオンラインプログラム『A NUSICAL JOURNEY THROUGH QUEENS:THE MUSIC OF HAITI WITH PAULINE JEAN AND FRIENDS』は、多様性へのアプローチを目的に企画された。日本は明け方5時ということもあり見逃した方は、現在facebookとyoutubeで閲覧できる。
ポーリン・ジョンは、2009年『A MUSICAL OFFERING』(音楽の贈り物)でニューヨークのジャズシーンに登場し、以来、ロシア、中東、アフリカ、中国など世界中で彼女の敬愛するニーナ・シモン、ビリーホリデー、サラ・ヴォーンなどスタンダード・ナンバー中心の曲を携えて演奏活動の幅を広げてきた。
2016年にはセカンドアルバム『NWAYO』(モワヨ、クレオール語で中心を意味する)では、彼女のルーツであるハイチの音楽をジャズと組み合わせ、全く新しいジャズを完成させたことにより自己のスタイルを確立させた。ちなみにそのアルバムはグラミー賞のノミネート候補だった。また2016年から慈善団体Experience Ayiti (XA)(エクスペリエンス・ハイチ)を朋友のテナーサックス奏者Godwin Louis(ゴッドウィン・ルイス)と立上げ、ハイチの学校に楽器の寄付や音楽指導を行っており、ハイチとの文化交流を積極的に行ってきた。2020年アメリカ大統領選挙の最中にシングル・リリースとなった『AIN’T I A WOMAN』では、奴隷解放論者で女性参政権獲得に人生を捧げたSOJOURNER TRUTH(ソジャーナ・トゥルース)をトリビュートした。ピアノ伴奏のみで歌うこの曲は、コロナによる人々の不安を和らげるほど心にしみるバラードだった。
さてライブの話。ポーリンが歌う時は、カルテット、クインテット、オーケストラのような形態が多いが、今回はトリオスタイルである。陽気なハイチアン・パーカションの高速ビートにのりポーリンは、聴衆にハイチアン・クレール語で「サパセ」(どうしたの?)「キジョムゲ」(こんにちわ)とコール&レスポンスをしかけた後、haiはハイチのトラディショナル曲『HAITI CHERIE/DEAR HAITI』を持ってくる。カリブ海に浮かぶハイチの美しさを歌う。たとえこの国を去ろうとも自身のルーツを忘れず生きることを歌ったこの曲は、ハイチ政府の腐敗、圧政に耐えかねて新天地のヨーロッパやアメリカに移住するDIASPORA(ディアスポラ)の思いを描いた歌だ。
次の曲は『PANAMA’M TONBE/MY HAT FELL DOWN』。アメリカの黒人指導者フレデリック・ダグラスとも親交のあったハイチの元大統領Florvil Hyppolite(フロールビル・ハイポライト、任期1889年から1896年)が、ポルトー・プランスの路上で馬の手綱を引いて進んでいたところ、立ち止まってパナマハットを脱いだ瞬間、心臓発作でこの世を去ったという。この曲は、外国からの勢力に抵抗し、ハイチの独立を守った彼を偲んで作られたはず無用なリズムのハイチアン・フォークロアある。
3曲目は『TI ZWAZO KOTE OU PRALE?/LITTLE BIRD WHERE ARE YOU GOING?』。「見知らぬ人には気をつけなさいと子供への訓戒をこめたハイチアン童謡歌。この曲は、ポーリンのセカンドアルバム『NWAYO』に収録されれている。そしてハイチアン・アート謳歌『PAPIYON/BUTTERFLY』のゆったりとしたバラードが続き、最後の曲若い女性が、にわとりを料理したら爆破したというハイチアン民謡(無題)を歌い舞台を後にした。
https://www.experienceayiti.org/
参考文献
The Chautauquan, “The Late President Hyppolite of Haiti,” The university of Chicago Library, https://books.google.co.jp/books?id=xKpHAQAAMAAJ&pg=PA238&redir_esc=y#v=onepage&q&f=false