ブラックパンサー・パーティは、米国政府によりテロリストグループに指定された。しかし、彼らの地域社会への奉仕活動は、現在においても高い評価を受けている。3回目の特集は、彼らの奉仕活動について紐解いてみる。
おそらく歴史家、専門家、政治家の間でもっとも評価の高いブラックパンサーパーティ(以下、BPP)の活動は、Breakfast Program for Children(子供のための朝食プログラム)だろう。
黒人、アジア人をはじめとした低所得の家庭で生活する子供たちに朝食を無料で提供する政策である。毎回、支援団体からの寄付で実施されたのだった。
ボランティア(主に、主婦)は、毎朝6時起床、オフィスに出社、テーブルセッティング、掃除、調理などの準備を行った後、日本で見られる緑のおばさんのように、交通安全のため子供たちを誘導し、朝食を提供した。
献立は、牛乳、ベーコン、エッグ、トースト、シリアルなど、毎回、ボランティアが仕入れ先に連絡して手配するものだった。
朝食の提供の他に、子供たちは、Liberation school(自由のための解放学校)に参加する。BPPが掲げる10 Point Platform and Program(10項目綱領)による思想を、またブラックヒストリーを授業として子供たちにレクチャーした。
BPPメンバーのヒューイ・P・ニュートン、ボビー・シール、エルドリッジ・クリーバーなどの思想体系を教授する行為は、まるで共産主義、社会主義で見られる人物崇拝を子供たちに植えつけてるようだとメディアを始め、世間は感じたが、米国の社会構造にある人種差別、階級闘争、学校では教えない黒人史などを子供にもわかり易く体系化して教授する方法は、結果的に黒人であることへの劣等感から解放され、黒人であることへの誇りを子供たちに教えるものだったので、人物崇拝ではなかった。このBPPの教育プログラムについては現在でも評価が高い。こうした黒人であることへの意識の芽生えは、後のシステマッティック・レイシズム(制度的差別)への抵抗につながってくる。
Breakfast Program for Children(子供のための朝食プログラム)における勉強会では、1つのクラスに12人から13人程度で年齢は10歳から13歳の子供たちが参加していた。
この課外授業の目的は、将来BPPに加入させるために開講されたものではなく子供たちに規律正しく生きてもらうこと、また個人が自主的に学習する姿勢を持ってもらうところにあった。
さらにBPPの地域社会活動の中で活発だったのは、医療センターだ。貧民地区(通称ゲットー)で暮らす低所得の黒人たちは、高額の医療費を支払えず、生涯を通じて病院に行くことができないために設置されたものだ。毎週100人以上の患者が来診に来たと言われる。医者10名、看護師12名、薬剤師2名、そしてインターン生が早朝から忙しなく働いていた。黒人患者で多かったのは喘息、心臓発作、糖尿病、知的障害、高血圧だった。
これらすべてはBPPの創始者ヒューイが、低所得者地域の人々が、白人中心社会の中で劣等意識を持ち、卑屈になってしまう姿を垣間見て、黒人としての誇りや美しさを持ってもらいたい(BLACK IS BEAUTIFUL)という思いから行われたものだった。BPP運動の中でも、次世代の黒人のアイデンティティや意識を変えた点はもっと評価されてもいいのではないか。