1月は、米国公民権運動の偉大な指導者マーチン・ルーサー・キング牧師月間である。本稿では、キング牧師が音楽にどのような関わりと思いを持っていたのか?彼の音楽へ想いを綴ったエッセイを紹介しよう。
60年代アメリカでは、そのCivil Rights Act(公民権法、1964年)が制定されるまで教育から公共施設などあらゆるところで白人と有色人種の差別が激しい時代であった。
「Separate but equal(分離すれども平等)」というPlessy vs Ferguson の1896年の最高裁判決は、合衆国修正第14条における法の下の平等を巧みに当てはめた判決で、実際は人種差別を残したものだった。
しかし、1955年12月1日、バスの座席を白人に譲らなかったRosa Parksが発火点となり、キング牧師はバス・ボイコット運動をはじめ、矢継ぎ早に非暴力・不服従運動を展開して行く。そうした社会運動のうねりの中で、キング牧師の公民権運動に影響を与えた音楽は、ジャズであった。
1964年9月24日から27日にかけて開催されたBerlin Jazz Festival(ベルリン・ジャズフェスティバル)のスピーチ原稿を依頼されたキング牧師の言葉は、「Jazz Speaks for Life 」と称される。以外は、その原稿を抜粋である。
主は抑圧から多き業を成したもうた。主は非創造物に創造する力を授け、環境そして多様な状況に対応しうる甘美な悲喜交々の歌を与えたもうた。 ジャズは人生を語る音楽です。ブルースは人生の苦しみを語ってくれます。人生の一瞬を思う時、ブルースは最も困難な人生の現実を歌に乗せて、新たな希望と勝利がやってくることに気づかされます。ブルースが人生を歌ってくれるのです。ジャズは勝利の音楽なのです。 モダン・ジャズは、この伝統を受け継ぎ、複雑な都市部の在り方を歌にしてきました。音楽家は、人生そのものに秩序と意義を見出せない時、楽器を通じて大地の音から秩序と意義を創り出すのです。 米国の黒人のアイデンティティの探求は、ジャズ・ミュージシャン達により擁護されてきたのは何ら不思議ではありません。現代の文学者や学者が人種的アイデンティティを多民族世界の問題として描くずっと前から、ミュージシャンは、魂を揺さぶりを確信し、自身のルーツに立ち返ったのです。 米国の解放運動の力の多くは音楽からのものです。勇気を挫かれた時は、甘美な韻律が我々を強くしてくれました。やる気を失う時には、その豊かなハーモニーが我々を安穏にさせてくれました。 今、ジャズは世界に普及しています。それはつまり、米国の黒人達の苦闘は、現代人の普遍的な苦闘に似ているところがあるからです。 すべての人にブルースがあります。すべての人が意味を切望します。すべての人間が愛し愛される必要があります。すべての人間が手拍子して幸せになる必要があります。すべての人間が信仰を切望します。とりわけジャズと呼ばれるこの広いジャンルには、この願いを叶えてくれる足掛かりがあるのです。