詩人アミリ・バラカの戯曲「ダッチマン」が新たにリメイク版として映画化が決定した。アメリカのブラック・カルチャー現代史上、数々の衝突と論争を巻き起こしたアミリ・バラカの名作はいったいどのように制作されるのか。未だ制作の情報は少ない本作映画化発表を前にアミリ・バラカとはいったい何ものなのか、彼について紹介しよう。
スモーキーなブルースクラブでジャズ演奏にポエトリーを激しくシャウトする達人。黒人のあるべき姿勢や深層心理を批評してきた米国の詩人Amiri Baraka(以下、アミリ・バラカ)である。1964年の戯曲作品「Dutchman」が、映画となって遂に封切られるという。キャストにはAndre Holland、Kate Mara、Zazie Beetz、Stephan Mckinley Henderson が選ばれた。監督、脚本にはエイミー賞候補となったドキュメンタリー映画「The One and Only Dick Gregory」の監督Andre Gainesが総指揮をとる。
「Dutchman」は、1964年に出版された戯曲。1967年に映画化された。監督は、イギリス出身Anthony Harvey で代表作に『冬のライオン』がある。主演は、同作のClayを演じたAl Freeman Jr. とLula役のShirley Knightだった。ニューヨークの地下鉄で出会った白人女性と黒人男性の愛憎劇と単純に片づけられない米国社会の第二市民である有色人種と支配階級の白人の心理描写を描いたサイコスリラーな作品となっている。
1964年と言えば、アメリカ国内では人種間による暴動が激しさをました転換期だった。マーティン・ルーサー・キングJr.やマルコムXが中心となり全米各地で人種差別撤運動が盛んな時代で米国36代大統領ジョンソンにより公民権法が制定された。公共の場のみならずあらゆる場所で、ようやく人種差別を禁止する法令が執行された年でもある。
アミリ・バラカ、(当時の名は、LeRoi Jones)は、1937年米国ニュージャージー州ニューアーク生まれ。詩、戯曲、評論、社会活動家としてブラック・ナショナリズムの体現者であった。1954年頃、バラカは、ニューヨークのグリニッジ・ビレッジでビート・ジェネレーション(以下、ビートニク)の先導者アレン・ギンズバーグらと親交を深め、またハワード大学をドロップアウト後は、アメリカ空軍に入隊した経歴がある。
マンハッタンのグリニッジ・ヴィレッジでは、知識人、文学者、詩人、ボヘミアン、放蕩者との交流する一方、恋仲だったビートニク女流詩人Dianne di Prima と雑誌「Floating Bear」(1961)を刊行した。バラカを最も有名にしたのは、1963年の「Blues People」である。ポピュラー・ミュージックのルーツは、アメリカの黒人であることを世界に訴えた黒人音楽の歴史書であり、永遠の名著だ。
また詩集「Black Art」では黒人意識の団結を訴えた一節を書いている。
「自由なる愛が存在する日まで愛の詩を書くな/俺が望むものは黒い詩、黒い社会/世界を黒い詩で埋めてくれ/黒人達に、この詩を静謐に、大声で歌わせてくれ」
バラカは、2014年1月9日79歳でこの世を去るまでブラック・ナショナリズムを提唱し続けた詩人であった。黒人指導者マルコムXに系統し、1965年、彼が暗殺され、黒人達の苦渋と怒りが全米に広がる中、ビートニクの知識人達と訣別した。
Langston Hughes 自伝の著者Arnold Rampersadは、バラカについて「彼以前の(詩人)ラングストン・ヒューズやラルフ・エリスン(小説家)のようにブラックミュージック・カルチャーの表現者としては群を抜いている人物」とWBUR.orgのインタビューで語っている。
特にバラカは、後の世代のアフリカン・アメリカンライターに影響をを大いに与えた。詩人では、hip hop バントthe rootsのアルバムに参加したフィラデルフィアのUrsula Rucker、デトロイトの詩人Jessica Care Moore、映画「Slum」主演の詩人Saul Williams、そして2024年グラミー賞にノミネートした詩人Aja Monetなど多くのアーティストに影響を与えた。
LeRoi Jones からイスラム名のImamu Amiri Baraka(ナイジェリアやカメルーンのバントゥ民族に起源)に改名し、ハーレムに移ったバラカは65年、詩人・社会活動家のSonia Sanchez 等とBlack Arts Movement repertory Theater を設立する。所謂ブラック黒人であることの誇りと尊厳の高揚を、演劇、絵画、小説、詩、ジャズなどで表現することを目的とした組織だった。
Black Arts Movement は、同時代的に隆盛を極めた「ブラックパワー」、「Black is Beautiful 」などのスローガンを1966年結成のBlack Panther Partyに先立って取り入れた黒人への意識改革だった。自らをマルキシストと呼び、ブラックナショナリズムを掲げ、さらに反ユダヤ主義的な思想体系がFBI、つまり国家反逆を企む者を監視や諜報活動により窮地に追い込ませる極秘捜査コインテルプロにより標的となった。
報告書には「黒人革命家気取で白人に媚びる臆病者」と強烈に非難され、「ジョーンズ(バラカ)は、ニューアーク、全米、または世界を支配する王になろうとする野望がある」など危険分子として記載されている。1967年銃刀法違反と暴行罪で逮捕された。3年の懲役刑に処せられたのもFBIが関与して居る可能性があった。しかし、控訴審で覆り出所後すぐにブラック・ムスリム組織Kawaida を結成し、1975年までパン・アフリカンニストの議長として黒人の団結を訴える活動をしたのだった。
バラカは、自身の詩を朗読するポエトリー・リーディングの名手でもある。
たとえば、ジャスのスタンダード曲「Stardust」の伴奏にポエトリー・リーディングする姿は、しばしば聴衆を感動させるほどその芸術性は高尚たるものだった。
バラカの人生で物議を醸したのは2002年ニュージャージー州ウォーターボローのGeraldine R. Dodge Poetry Festival で朗読した「Somebody Blew Up America」だ。この詩の一部で9.11を言及しており、反ユダヤ的で反米国外交にあたるとして市議会は、ニューアーク市のPoet Laureate(冠詩人)の剥奪を求めた。
世界貿易センターを爆破した奴を誰だか知ってるか?
その日は家で待機しろと4000人のイスラエル系事務員に言いふらした奴を誰だか知ってるか?
シャロンがその場所に近寄ろうとしなかったのを何故だか知ってるか?
ニューアーク知事James McGreevyはバラカに対し、Poet Laureate の辞任を要求した。これに対し「無知と腐敗、そして人種差別に関する確固たる証拠であり、合衆国憲法にあまりに無知蒙昧である」と文書で公表した。控訴裁判所は、結果的にバラカの訴えを棄却した。辞任は免れたものの事実上その地位から追放となった。しかしこの詩は、壮大なアメリカの人類史であり、人々が容易に語らないアメリカの外交政策の真実以外の何者でもなかった。バラカは頑なに信念を曲げなない人であった。
2014年1月9日、バラカは79歳でこの世を去った。しかしバラカを慕う後進たちは後を絶たない。彼がどれだけ愛されているのか。それは真実を追求する直向きな信念を持った芸術家だからだ。
彼の息子Ras Barakaは現在、ニューアークの市長として活躍している。