ラッパーMF DOOM 逝去

90年代ヒップホップシーンに、その緻密なで複雑なワードプレイスタイルとマスク姿でシーンに登場したラッパーMF DOOM。12月31日、妻Jasmine Dumileのインスタグラム投稿から2020年10月31日に逝去したことが明らかになった。享年49歳だった。

MF DOOMは、1991年ヒップホップグループKMPのメンバーZev Love Xとしてシーンに登場。同メンバーで弟である DJ Subrocの事故死により活動休止するも、90年代後半、ニューヨーク各地のポエトリーリーディングイベントに参加、評判となり、現在までヒップホップアンダーグラウンドシーンに絶大な人気を博した。

本名は、Daniel Dumile。1971年1月9日、英国ロンドン生まれ。トリニダードトバコ出身の母親とジンバブエ出身の父親の家庭で育ち。幼少時、一家でニューヨークへ移住した。敬愛するミュージシャンは、ジャズ界のレジェンドジョン・コルトレーン。ビート詩人の一人チャールズ・ブウコスキーを愛読したという。

KMP解散後の1999年、ファーストソロアルバム「Operation :Doomsday」(1999)では、ジャジーなサウンドプロダクションとSadeの「Kiss of Life」をサンプリングしたファーストトラック「Doomsday」において、ドラックに溺れた過去、商業主義の音楽界からの決別、性的搾取、凶悪犯罪自慢を売るラップミュージックに対する嫌悪、弟への追悼、過去との決別など、自伝的ストーリーをリリックに落とし込み、マスクをかぶったアメコミのキャラに扮して登場した。

以後アルバム毎に様々なキャラを演じながら独自のヒップホップミュージックを生み出していく。

アルバム「Madvillainy」(2004)は、当時ストーンスロウレーベルで絶大な人気を誇ったMadlibプロデュースにより、サンプラー、ターンテーブル、テープデッキのみで製作され、卓越したサンプリングと緻密なビートに、MF DOOMのシニカルでコメディースケッチなリリシズムと見事調和し、各音楽業界、マスコミから絶賛され、翌年「Danger Mouse」(2005)で初の商業的成功となり、ラッパーとしての不動の地位を築き上げた。アルバム「Madvillainy」(2004)は、当時ストーンスロウレーベルで絶大な人気を誇ったMadlib(マッドリブ)プロデュースにより、サンプラー、ターンテーブル、テープデッキのみで製作され、卓越したサンプリングと緻密なビートに、MF DOOMのシニカルでコメディースケッチなリリシズムと見事調和し、各音楽業界、マスコミから絶賛され、翌年「Danger Mouse」(2005)で初の商業的成功となり、ラッパーとしての不動の地位を築き上げた。

Madlibもソーシャルメディアで彼の死を知った。当アルバム以降もMF DOOMにビートを送ったりして親交もあった。「家庭内のことだから、連絡のとりようがなかった。彼が死んだなんて未だに信じられない」と胸のうちを答え、またストーン・スロウレーベルの創始者Peanut Butter Wolf(ピーナッツ・バター・ウルフ)は、MF DOOMの楽曲リリースの承諾をスタッフと家族から得ていると Okayplayer.com。

金、ドラッグ、サグ、ミソジニーなど、頻繁に濫用されるヒップホップシーンから一切無縁でワン・アンド・オンリーで独自の芸術的世界観を創り出したMF DOOMに心からご冥福をお祈りしたい。

参考
https://www.discogs.com/ja/MF-Doom-Operation-Doomsday/release/9169243